家の始まり(続き)

 

アセットフォーはお休みです。

昨日の続きをご紹介します。

古代の家族と集落については、様々に議論されています。

基本は女系家族でしょうか。

当時の生産能力から、集落も小集団で3~6軒位だったようです。

そしてひと家族人数は、5人前後と考えられています。

当時の寿命は40年弱、それほど多人数の家族にはなり得なかったようですね。

以前は縄文時代は狩猟民族だったと解されていました。

でも最近では、様々な発掘により時代とともに定住化され、狩猟・採集・育林などかなり進んだ生業が営まれていた事が明確になっています。

竪穴式住居3~6軒に1棟の高床式倉庫があるというのが、縄文時代から弥生時代にかけての基本的な生活単位でした。

人々は竪穴式住居に住み続け、高床式建築は倉庫や望楼そして儀式の用途に使っていました。

高床に住まなかったのは、冬は床下からも寒さが襲ってくるからでしょう。

夏は暑さも床下にあります。

現在は床下を断熱する事で暑さを凌いでいますが、土間にした方が賢いと思います。

地熱という自然エネルギーを享受出来る素晴らしい仕組みです。

東南アジアでは冬の寒さが無いため、高床式住居で暮らす人々がたくさんいます。

それは一年を通して涼しさがあれば済む環境だからでしょう。

 

高床式倉庫には、屋根だけの竪穴式住居には無い壁があります。

壁は、縄文時代には草で作られる事が多く、板壁になるのは鉄器が登場する弥生時代に入ってからです。

弥生時代から古墳時代へ・・・。

この高床式倉庫の構造は発展していきます。

鉄器と共に伝わった米作により、弥生時代の生産力は飛躍的に増加します。

そこに余剰の富が生まれ、支配層が誕生し、ムラとなりクニへと発展していくことになりました。

力のある豪族の屋敷には、高床式建物が立ち並んでいたことでしょう。

こんなところでしょうか。 

新「そらまどの家」-伝統と未来をつなぐエコハウス-

丸谷博男 著

萌文社 刊

一部抜粋・加筆修正して掲載させていただきました。

 

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   posted by Hoppy Red

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